原発を考える(その5)~東電常務の発言は無責任

【出典】朝日新聞 2014年3月29日版

http://www.asahi.com/opinion/?iref=com_gnavi

東電常務の発言を「原発事故の核心を正面から直視し、自分の言葉で率直に語っている」と評価するのには違和感を覚えた。当事者、それも技術部門のトップがそう言う物言いをするのは無責任であり怒りさえ覚える。彼の本心はどこにあるのか。

過酷事故に対処できなかった要因の一つが「法律」であるはずもない。それは、単に裁判対策の方便だ。「人間とは易きに流れやすいもの」とするなら原子力を扱う資格はない。今後何十年にもわたる放射能との戦いに対峙するのは、誰でもないあなたなんですよ。本当に、あなたは原子力発電を続ける資格がありますか?

我々に原子力発電を続ける資格があるのだろうか―。東京電力常務で原子力技術者のトップ、姉川尚史さんはこの3年間、そう自問し続けてきたという。昨年8月に東京工業大学で開かれたシンポジウムで福島第一原発のかつての津波想定の甘さについて「恥ずかしい」と述べ、「謙虚さが足りなかった」とも語った。その真意を聞いた。

― 東工大でのシンポで福島第一原発の過去の津波想定の甘さを批判しました。

今年の東京都心の大雪を『有史以来の最大の大雪』と私が言ったら誰もがそれは言い過ぎではないかと疑いますよね。数年前の津波がこれまで起こった最大の津波と言うのも、今考えるとあまりに甘い見方です。一方で、それがよく審査を通ったな、とも思います。今から思えば、顔が真っ赤になってしまうほど恥ずかしい、そういった反省の気持ちをお伝えしたかったんです。

― 「法律」のせいで安全対策を見送る方向に誘導されたという話もありました。でも、法律で電力会社に義務づけられているのは、守るべき最低限の基準です。それに上乗せする自主的な安全対策は電力会社の責任でいくらでもやれます。

自主的にやるべきじゃないかというのはその通りで、おおいに反省すべきだと思っています。でも、我々にも苦しみはあったわけです。何かをしようとすると、『この間の話と違うじゃないか』と言われる。そういうことに慣らされると、それを強い気持ちで乗り越えられる人間はそんなにたくさんはいなくて、易(やす)きに流れてしまう。新しいことをやるのに臆病になる。私もそういう空気を感じたことがありました。

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― 福島第一の事故について「史上まれにみる巨大な地震津波に起因する」と結論づけた社内調査報告書もシンポで厳しく批判しました。

この報告書は『この事故はだれがやっても防げなかった』というスタンスで書かれている。これは原子力のプロの姿としては不十分です。 安全にこれで良いというゴールはないんです。サッカー選手にしても、ボクシング選手にしても、その道の一流のプロはみんな無限精進をしているわけです。原子力に巨大リスクがある以上、当然、我々もそうするべきです。

― 現旧の役員らが被告となっている株主代表訴訟の法廷では東電は今も「今回のような大きな津波がくるとは想定できなかった」と主張しています。姉川さんの言葉と矛盾しているのではないですか。

犯罪だとか、注意義務違反だとか、白黒つけられるかというと、それはそうではないと思います。津波に対して何もせずにぼんやりしていたかというと、そうではなく、心配もしていましたし、いろいろ対策を議論していました。残念ながらシュートを決められる決定力はありませんでしたが。 とはいえ、プロとしては、負けて帰ってくるのは恥ずかしい。原子力のプロとしては『あの事故は仕方なかったんだ』とは言いたくない。『防げなくても仕方なかった』とは私は思っていません。

― 具体的に何ができましたか。

一つだけ選べと言われれば、私は、バッテリーの止水を選びます。 ― 姉川さん個人として、原子力は続けるべきだと考えますか? 続けるべきだと思います。日本は決して豊かな天然資源があるわけではないし、だからこそ、オイルショック(73年)前後から原子力を一生懸命やってきました。今はこれに代わるものがないと思っています。

― 原発が稼働していなくても、石油や石炭天然ガスなどで日常的な生活は維持されています。

それは今までの日本の経済的な蓄えがそれを可能にしているだけであって、長く続くものではないと思います。

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― 事故から3年たちます。そもそも原子力を人間の手で制御できるのかという疑問が残ったままです。

3年たっても14万人の方が避難を続けていて元の生活に戻れない、あの事故を起こした責任の重さを痛切に感じています。

この3年の間、自分たちは原子力発電というのを続けてよいのだろうか、続ける資格があるのだろうか、そういうことを思い悩む期間でした。もし事故が回避できないことなのなら、さすがに続けられないと思います。ただ、福島第一の事故に至るまでの背景をいろいろ調べて、ひもといていくと、自分たちに足りなかったことがあった。まだまだたくさんのことをやれたと確信できました。ということは逆に、人の英知でこのエネルギーをコントロールできる可能性がある。その可能性にかけたいです。

― 続ける資格がありますか?

私は、まだ足りない、まだ道半ばだと思っています。防潮堤などハードウエアはお金をかければできあがります。でも、自然現象が原子力のリスクにどういうふうに影響するのかを見極めて迅速な対策をしていく精神、心がけ、行動パターン、安全文化……それらを作り上げ、原子力だけで3千人近く、会社全体では4万人近くの気持ちを一つにしていくのに時間がかかります。自分たちはまだ改革の途上だと思っています。

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― 姉川さんの「反省」は柏崎刈羽原発の再稼働への地ならしということはありませんか。

それは随分うがった見方だと思います。福島第一の事故で最も命の危険を感じたのは東京電力の社員です。きちんと事故原因を把握し、その反省をすることなく、安全対策をいい加減にすませて運転を再開するなどというのはあり得ない。そのようなことは社員自身が拒否します。

― 昨年9月の記者会見で姉川さんは柏崎刈羽原発の安全性について「これで十分と見ているわけではありません」と言いました。十分な安全性がないと言いつつ、再稼働に向けた準備を進めるのですか。

考え得る安全対策は施してあります。しかし『これで大丈夫だ』という慢心があってはいけない、というのが福島第一の事故の大きな反省点です。そういう慢心が自分たちの心の中に忍び込まないようにしていかないといけない。それが保てないなら、『どうか運転してください』と頼まれてもお断りします。矛盾しているかもしれませんが、怖いと思う気持ちがなくなることが一番怖いことです。

我々は福島の皆さまに取り返しのつかぬような大変なご迷惑をおかけしており、本当に申し訳ないと思っています。その気持ちを一瞬たりとも忘れず、同じことを繰り返すことがないよう、安全性の追求に終わりなき無限の精進をしていきたい。

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シンポジウムでの姉川氏の発言

2013年8月3日、東京工業大学で開かれたシンポジウム「原子力は信頼を回復できるか?」での姉川尚史・東電常務の発言の主な内容は次の通り。

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原子力のエンジニアにとって、放射能が環境に大量に放出されてしまうような炉心溶融事故は、100万年に1回以下の発生頻度となるように対策を取るべきであることは常識となっている。津波を考える上でも、当然「100万年に1回の津波ってどんなものだろう」と考えるべきであった。

ところが、福島第一は1966年に設置許可を国に申請した際、60年のチリ地震津波を「最大」として設計の条件にした。

提出した方も提出した方だと思うが、よくこの申請が通ったなと今でも恥ずかしくなってしまう。当時としては、それが技術の知見の最善だったのかもしれないが、そういう想定の甘さがあって全電源喪失になったのが問題だと思っている。

70年に運転を始めた後にも、奥尻島津波(93年)、スマトラ津波(2004年)があった。神様はチャンスをくれたような気がする。勉強して改めるチャンスをくれた。いきなり3・11にならなかった。そんな気がする。

それなのに、スマトラ津波を見た後にも、福島沖の日本海溝では津波が起こらないという信念を、なぜ持ち続けることができたのか。自然現象に対する謙虚さ、原子力安全に対する謙虚さというものが足りなかったんだと思っている。

東京電力が2012年にまとめた社内事故調査報告書は、事故が起こる前の話について十分に深掘りがされていない。この報告書を読んで「この程度の反省では、再び原子力発電を行うことはできないのではないか」と考えたが、社内には同様の考えを持つ者が私のほかにも多数いた。そこで、報告書の追補版をつくろうと有志で活動を始めたところ、会社としても見直しを行うということになり、13年3月に「総括」を出した。

我々が過酷事故に対処できなかった要因の一つとして「法律」があったということも申し上げておきたい。たとえば、非常用電源を追加すると「今まで足りなかったということだから、過去の安全審査に不備があったんだ」と言われる。裁判では、設置許可の時点で不備があったかどうかで判断される。そのような状況で「我々は十全の準備をしているんだ」という説明で済ませたいという気持ちになりがちだった。

技術は常に右肩上がりで進歩し、安全対策も日々進歩するものだ。それを主張するのが難しかった。

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<取材を終えて>

姉川さんは今、生粋の原子力技術者としては東電社内で最も高い地位に就いている。その人が原発事故の核心を正面から直視し、自分の言葉で率直に語っている―。東工大でのシンポで話を聞いて、私はとても驚いた。認識すべきことを認識し、言うべきことを言える。当たり前のことなのだけど、東電にはそれがなかった。そんな過去と決別するしか、東電が生き残る道はない。その現実を、姉川さんの言葉は映している。とはいえ、原発のために苦痛を強いられている多くの人の心に、どう響くか。そこにも東電が直面する現実がある。(編集委員 奥山俊宏)