知識創造とイノベーション(その2)~シャープの失敗に学ぶ

【出典】東洋オンラインhttp://toyokeizai.net

日本航空(JAL)やカネボウダイエーなど数多くの企業再生や経営改革に携わり、オムロン社外取締役なども務める冨山和彦氏。著書を呼んで一気にファンになったのですが、その彼がシャープの業績不振に関連して「シャープの問題は、日本の電機メーカーすべてで起きている」と断言しています。私には、日本企業の『すでに起こった未来』を指摘されているように思えてなりません。この記事の通りだとすると、シャープ版カルロス・ゴーン黒船に乗ってやってきた破壊的創造者が出現しない限りシャープを再建は果たせないということであり、同じく日本企業に働く者として残念に思います。グローバル化コモディティ化の加速の中で、すり合わせ文化と標準化のせめぎ合いをどうバランスさせるのか。「iPhoneコンポーネントの半数がMADE IN JAPANだから日本企業は大丈夫」的な評論は無意味。頑張れニッポン。

シャープの問題は、日本の電機メーカーすべてで起きている。ただ、その中でもともと財務的な余力が少なく、液晶のほかに稼げる事業、すなわちバッファが小さかったシャープがいきなり厳しくなった。日本の電機メーカーは総合化しており、重電からAV、テレビ、通信、IT領域まで全部手がけている。かつ、垂直統合を志向し、最終組み立てだけではなく、半導体や液晶といったデバイスまで自社でつくる。横が広くて縦にも深い業態というワケだ。そのモデル自体が、10年以上前から苦しくなっていた。その中で、最大手クラスでなかったシャープは、液晶という一つの領域、つまり縦に思い切って絞り込む大勝負をかけて選択と集中をしたわけです。結果的にそれが裏目に出た。後から批判することは簡単だが、フェアではない。

シャープの負けは、かつての(日の丸)半導体のパターンとそっくりだ。256キロバイトや1メガバイトといった産業の初期は、半導体メモリを造ること自体にものすごく高度な技術が必要で、参入障壁が高かった。ところがデバイスとしてメジャーな商材になり、大量生産が始まると、いつしか技術の固有性が希薄になっていった。一流の製造装置メーカーの装置を買いそろえ、技術者を引き抜いてくれば、誰でも同じものが高い歩留まりで造れるようになる。液晶や半導体メモリは単機能の量産モノなのでコモディティになりやすい。すると投資の規模で勝負が決まるパワーゲームが始まる。そこでは、適切なタイミングで集中的に巨大な投資を……つまりは大バクチを打てる者が勝つ。このゲームでは、賃金や税金や部材が最も安い場所でつくるのが正しい。シャープのように国内生産(三重・亀山や大阪・堺)にこだわっていては勝ち目はない。鴻海(ホンハイ)精密工業が出資したシャープの堺工場(現・堺ディスプレイプロダクト)の今後は、為替や物価水準、エネルギーコスト、国の税制といった環境要件のみで決まる。円が急に弱くなったら稼働率が上がり、そうでなければ稼働しない。残念ながらそれだけの話。どこの傘下に入ろうが、それは変わらない。

大バクチを打つために必要な条件はもう一つ、ワンマン経営であることだ。今のように熟議を尽くし、ボトムアップで物事を決める日本企業には、基本的に向いていない。日本の電機メーカーは、パワーゲームではノーチャンス。ワンマン経営は松下幸之助盛田昭夫といった創業者の時代で終わっている。日本の電機メーカーでも利益を上げている部門や事業には共通点がある。部品点数が多くて、メカトロニクスで、熱力学がかかわっている。デジタルではなく、アナログの世界であり、白モノ家電や、住宅設備機器などがそうだ。気象環境によって耐久性が異なるうえ、熱を加えたり水を使ったりとある種、過酷な使い方をする。メカはいつか部品が磨耗し、熱変性を起こして壊れる。こうした分野では、蓄積された連続的なエンジニアリング技術の差をなかなか埋められない。ローテクっぽく見えるもののほうが、意外にテクノロジーとしてはるかに奥が深い。だから白モノはよその国から入ってくるのが難しい市場であり、ディフェンスの障壁が作れる産業である。パワーゲームに陥りやすいデジタルな世界、ITビジネスで勝つには、不連続なイノベーションを起こす力が必要だ。日本の会社は、要素技術ではいいモノをもっているが、不連続なイノベーションを起こすにはあまりにも連続的な存在。終身雇用と年功制で30年以上の歴史を持っている日本企業にはイノベーションは難しい。

米国でさえ、歴史が古い大企業になるとイノベーションを起こすことができなくなっていく。ゼロックスパロアルト研究所ですばらしい要素技術を持っていたが、イノベーションを起こしたのはアップルだった。GEはウェルチの時代にイノベーションをあきらめた。コンピュータや半導体をやめて、残したのは白モノと重電だった。マイクロソフトからもイノベーションは出てきていない。IBMやGEのようにあきらめるというのは正しい戦略。GEは、日本が手本にしていた総合電機メーカーだった。そのGEがいつのまにか業態を変えてしまった。不連続なイノベーションをあきらめ、単純なパワーゲームも捨てた。コンピュータや半導体をやめて、残したのが重電と白モノだった。熱力学でメカトロ、摺り合わせが多いビジネスしか残さなかった。日本の電機メーカーもその道を行くべきだ。その領域に強みを持っているのだから。テレビなんかやめちゃえばいい。パワーゲームは量の勝負なので、一見多くの雇用を作ることができる。だからそれをやりたくなる。しかし、裏返して言えば、固定費としての人件費を大量に抱えているということ。これはとても危険だ。

嫌な言い方だが、いつでも切れる変動費で戦わないといけないが、日本の会社ではそれは難しい。ビジネスが減少したときに、人件費を調整できるプレーヤーと、ピークで持たないといけないプレーヤーとでは勝負にならない。各社はリストラに懸命だが、日本の場合、労働力を変動的に持てないので、いったん人員削減をすると何らかの要因で生産を増やすことが必要になってもすぐに雇えない。機会ロスが出る。つまり、いろんな意味で日本をベースに活動する日本メーカーにとって、パワーゲームの世界は非常にハンディキャップが大きい。液晶は、スマートフォンなど最終製品に占める割合が大きいことも作り手には不利に働いている。アップルのような買い手は、メジャーな部材の価格は徹底的にたたきにくるからだ。これが接着剤や、フィルムのバックライトで使う蛍光材料といったマイナーな部材なら、値下げ要請もそう強くない。全体の構成比率は小さいが、そこでトラブったら致命的になるデバイスやコンポーネントがいちばん儲かる。今の時代は「スモール・バット・グローバル」が強い。小さいけれど世界を独占できる部品を100個持っている会社のほうが、メジャーな部材を1個持っている会社より、相対的に安定的で高収益。村田製作所日本電産、京セラがその見本だ。

(中略)

日本の製造業はすり合わせ信仰が強すぎる。すり合わせることはいい。だが、なんでもかんでも真面目にすり合わせればいいわけではない。すり合わせが向いている領域とそうでない領域がある。ハイエンド製品を作っている工場は匠の心ですり合わせを続ければいい。しかし、世界中で同じことをやろうとしたり、すべての商品でそれをやろうとするのは無理がある。

世界中ですり合わせをやろうとしても、工場の立ち上げに時間がかかりすぎる。モノが一定以上安くならない。安く作るには、がんばってすり合わせるよりは、ありものの部品でどこまで作り込めるかを設計段階で考えなければいけない。多くの日本メーカーは、これまではすり合わせでいいものを作ることに命かけてやってきた。が、できるだけ標準品、汎用品で組み立てて、本当に差別化する部分だけを特注品や特注マイコンでやるようにすべきだ。

頑張ってすり合わせて作った製品に消費者がおカネを払ってくれればいい。確かにポルシェには2000万円払ってくれる。だが、一生懸命作ったヴィッツに1000万円は払ってはくれない。これはもうしょうがない。最終的にはエンドユーザー、消費者がバリューを決めている。顧客と関係ないところで自己満足的にすり合わせにこだわっても、ある種、マスターベーションになってしまう。国内の最先端のマザー工場はすり合わせにこだわってもいい。暗黙知をどんどん追いかければいい。非常に高度な匠の技を極められるのは、日本の会社の強みであり、日本の特権でもある。そういうことができる国は、日本とヨーロッパの一部しかない。新興国では労働慣行や働きの価値観の問題があるからやりたくてもすり合わせは難しい。従業員が一つの会社に長くいてくれない。少し技能を見つけたらすぐに他社に移ってしまうから。

ただし、暗黙知で技術をどんどん高度化したら、ある段階で出来上がっているものに関してはいったん時間を止めて、形式知化して横に広げるべきだ。横に展開するというのは、ほかの商品に展開する、量産品に展開する、世界中の工場に展開するという意味。ずっと暗黙知で匠型の究極を追及している限り標準化はできないので、いったん時間を止めて標準化に進む。そうした標準化に力を入れていないのが日本企業の間違い。経営者がすり合わせ信仰からの脱却をしようとしても、社内的に抵抗に合う。今までずっと暗黙知でやってきた人からすると、標準化努力をして横軸に展開していくのは、一流ではないみたいになってしまう。ナイスじゃない。道を究めてオリンピック目指すことがナイスで、スポーツの普及運動なんかは金メダルレースに落ちた人間がやるんだみたいな。でも、今、お金になるのは普及運動だ。ただし、暗黙知化は進化していく世界だから、これはこれでやっていかないといけない。標準化した技術はだんだんパワーゲームなって、最後はコスト勝負になる。すぐに陳腐化する。だから、陳腐化する前に、また上の段階で標準化して横展開しないといけない。そうした改革を行うのは、会社のOSを入れ替える必要がある。個人や組織の行動様式やパターン、価値観など根本的な転換を迫られる。それはやはり大変。従来のOSに合わせて人事評価もされてきているし、フォーマルな人事評価だけでなく、誰をすごいと思うかといった価値観も醸成されている。それを切り替えるのはある種コペルニクス的な転換を伴う。

大きな軋轢を伴うので、いろんな悲劇も起きる。光と影ができる。士族階級が全員失業みたいなことが起きちゃう。それはやはり平時にはできない。太平洋戦争の敗戦のように全部のシステムが壊れたときでないと難しい。倒産危機のような危機バネが効いているときに、英明な君主が出てきてガーッと改革をやってしまわないと平時ではできない。日産自動車カルロス・ゴーンさんもそうだった。逆に言うと、経営危機にあるシャープは今がチャンスかもしれない。