朝日新聞2009年5月5日社説「日立の転換」より

日立の苦悩ぶりを見ると、決してた対岸の火事ではない。総合経営を「強み」に今のグローバル社会を乗り切る知恵はないのか…。

いくら社会全体のビジネスモデルが変わったとは言え、総合メーカーのメリットがデメリットになったわけではないはずだ。総合メーカーのメリットを生かせない体質こそが批判されるべき。黒字部門の儲けで赤字部門を下支えし、将来のビジネスの種を育て続けて新しいマーケットを創造してきたではないか。私が社長なら、「今は赤字なので得意分野に集中するが、何時か利益が回復すれば総合メーカーに復活するぞ!」と言って、社員を奮い立たせたい。

一方、朝日新聞の環境社会への貢献を第一とする主張は、イメージとして一般受けは良いかもしれないが、企業名を出してまで何を主張したかったのか分からない。何でも「環境」と言えば心地良いみたいなトレンド追いはして欲しくない。この記事こそが「旧体質的」であり、ビジネスで重要な「お金の匂い」が全くせず、残念極まりない。

原子力発電所から半導体、冷蔵庫、薄型テレビまで何でも手がける「総合電機メーカー」として、日立製作所は長く君臨してきた。しかし、4月に就任したばかりの川村隆会長兼社長は「総合」の看板をおろし、「選択と集中」を進めると宣言した。

日立は総合経営にこだわり、激変する経営環境に適応しきれない日本企業の象徴のように見られてきた。その転換は、21世紀のグローバル化のなかで聖域なき自己変革を求められている産業界の縮図ともいえる。

戦後の高度成長時代には、多くの業界で「総合○○企業」が活躍した。長期安定的な収益部門を核にして、さまざまな新規事業へ手を広げ、経済成長の恩恵をくまなく業績に取り込む手法は、先進国に追いつき追い越す過程で無類の強みを発揮した。日立は最強の総合経営のひとつだった。

しかし、右肩上がりの時代が終わると、かじ取りは難しくなる。日立でいえば、ドル箱だった電力業界の設備投資が減り始めた90年代後半が転換点だった。中核部門が落ち込んだうえ、新規事業も視界不良になった。

総合経営は羅針盤なき「総花経営」に変質した。日立ばかりでなく、電機業界の多くがたどった道だ。

だがここで、日立は「総合」の強化による生き残りを図った。自動車関連などに期待をかけたが、世界同時不況でどれも裏目に出た。09年3月期は日本の製造業として過去最大の7千億円の赤字に転落する。冷蔵庫でのエコ偽装も発覚し、880社にのぼるグループ経営のほころびがめだつ。

そこで今後は、家電の比重を下げ、発電・送電や鉄道、企業の情報基盤など社会インフラ部門に軸足をすえるという。それを環境部門などと融合して社会の革新をめざす「社会イノベーション」をグループの柱にする。

ただ、原点ともいえるこの分野も、盤石とはいえない。最近も原子力発電で、タービン損傷や蒸気配管データの改ざんなどが発覚している。

しかも、低炭素社会への転換が課題になるのにともなって、変化が激しくなっている。

太陽光や風力など、天候に左右される自然エネルギー発電が増えると、電力需要に合わせて発電をコントロールすることが難しくなる。それを可能にする発電・送電システムの開発競争が世界的に動き出している。

原発など得意領域を磨くだけでなく、こうした低炭素化を進める社会インフラに幅広く取り組み新境地を開拓できれば、社会的にも意義深い。

総合経営は追いつくときはいいが、競争の先頭に立ったときには新たな産業を生み出す力が弱い。脱・総合の課題は、新しい産業や社会の展望を開くことだ。その姿を示してほしい。