「安全」に対する考え方〜日本人の思想

業務の都合で初めて国際規格が求める「安全」の考えに触れたとき、直感的に「日本では流行らないだろうなぁ」と思った。

確かに、WTO(世界貿易機関:World Trade Organization)加盟国は、貿易の技術的障害に関するTBT(貿易の技術的障害:Technical Barriers to Trade)協定に従って、それぞれの国家規格をISOやIECなどの国際規格に原則整合させなければならない。その流れの中で、JISも国際規格を取り込み始めている。

しかし、今なお「安全」の捉え方として、欧米は安全状態が確認される場合のみ運転を許可する「安全確認型」であるのに対し、日本は危険状態が検出された時に運転を停止させる「危険検出型」が一般的である。

なぜこうなったかと言えば、「日本人が優秀過ぎたため」ではないかと個人的には思っている。これまでは、人の努力で「安全」が担保出来るとご認識してしまった時期があったのだろう。

例えば、私が豪州で担当したある発電プラントのプロジェクトでは、以下のようなことがあった。
・制御盤の受電が完了すると、盤前面に"IN SERVICE"のステッカーが貼られて、それ以降は如何なる作業においても事前に許可申請(WORK PERMIT)が必要となってしまう。
・勿論、受電後に種々のループチェックから始まって種々の機能試験を行う訳だが、WORK PERMIT取得の事務手続きに二日かかるので、提出を忘れているとそれだけで工程遅延の憂き目を見る。
・工程を守ろうと焦る余り、WORK PERMIT無しでも日本でするのと同じ手順で作業しようとするや否や、「現場の安全が確保されていない」とワーカーはすぐストライキをしようとする。

当時は「なんと融通の聞かない人種なのか。何が安全で何が危険か分からないなんて、あなたの方がPOORだからだ」とワーカーと衝突したものだが、今考えてみると「安全」の捉え方が違うからでは?と思えてならない。

一方で、日本では「安全」は出来て当たり前とされてきた。常に「ゼロ災」がスローガンであり、一旦事故を起こすとそれは「負の遺産」となった。それを忘れ去りたいために災害は「ヒューマンエラー」として片付けられ、いざ災害が起こると、それを教訓とした「安全教育」を徹底させ、過度の安全管理項目を増やすことで、結局「安全」を個人に押し付けて思考停止に陥っていたのだ。

皆様はどのように感じられるだろうか。私の意見に反対?それとも賛成?