「安全」に対する考え方(その3)〜リスクを許容する社会

「安全」を辞書で引くと、下記のような意味が出てくる。

危害または損傷・損害をうけるおそれのないこと。危険がなく安心なさま。⇔危険
三省堂 大辞林第二版より)


これは、日本での社会通念として一般的な解釈だろう。しかし一方で、安全関連の国際規格では、「安全(safety)」とは「リスクが許容可能なレベル(tolerable risk)まで低減されていること」と定義されており興味深い。その概念とは如何なるものであろうか。

IEC61508では、Part 5 Annex Aにリスク低減に対する概念がうたわれている。ここでは、対象となるシステム(EUC: equipment under control)のリスクは、予見可能な事象への安全対策を実施することによって、その合理性および対策実施の費用対効果のバランスの中で現行の社会慣例に照らして許容可能なレベルまで低減しなければならないこととなっている。

上記は、一般にALARP原則(アラープと読む)と呼ばれるリスク低減に関する基本的な考え方である(IEC61508 Part 5 Annex B)。ALARPとは「As Low As Reasonably Practicable」の頭文字で、合理的に実施可能な限りリスクを下げるという考え方であり、欧米企業が安全や健康を維持するための基本指針として欧米では一般的に採用されている。

これは、裏を返せば、許容可能レベル以下にリスクが低減されていさえすれば、例えリスクが残っていても(residual risk)許容される、つまり絶対安全は存在しないと言っているのである。

完璧主義の日本人には、一見欧米人のご都合主義のようにも思えるかもしれないが、私はこの考え方に非常に感服し、欧米社会の成熟度を感じた。これは、合理的な安全対策が採られていることを第三者機関(狭義の意味での「社会」)が認定することによって、例え予見不可能な過失によって人命に関わる被害を招いたとしても、社会は技術者をそれ以上追い詰めないという契約であり、その拠り所を規格化して広く公開し、政府の強制力の元に国民の営みを保護する仕組みである。

この考え方によれば、尼崎JR列車脱線事故六本木ヒルズ回転扉挟まれ事故、シンドラー社エレベータ事故、パロマ湯沸かし器不正改造によるCO中毒事故、エキスポランドジェットコースター車軸破損事故など、繰り返し生まれる悲劇を社会(利害対立者を含む)が一丸となって食い止めることが出来るものと期待している。

声高に「ゼロ災でいこう!」と呪文のように唱えても、それはスローガン以上でも以下でもないのだ。