「安全」に対する考え方(その2)〜規格は身を助ける

最近、機械安全に関する一冊の本に出会った。

それは、労働省産業安全研究所出身で、現在は北九州市立大学教授およびNPO安全工業研究所理事長である杉本旭氏の「機械にまかせる安全確認型システム〜設計者のアカウンタビリティ〜」(中災防新書)という本である。

私自身は、上記の団体・個人とはなんら関係ないが、興味深い内容であったので下記にご紹介する。皆さんは如何な感想をお持ちになるだろうか。私の感想は最後にご披露させて頂く。

1.「安全」は、デファクトスタンダード(競争・市場原理で決まるもので強制力はない)ではなく、欧州のCEマーキングのようなデジュールスタンダード(強制力のある倫理規定)に従うものでなければ、実現出来ない

2.機械の危険性を熟知している設計者こそが、確立された安全技術を用いて危険の予測とその対策を最優先に行う義務がある

3.見方を変えると、設計者は最新技術を適用して危険側故障を限りなくゼロにする努力をすると共に、合理的に予見出来ない残存リスクに関しては、事前説明を通して被害を受けるユーザに予防を委託することで、自らの製造責任を保証(免責)する権利を有すると言える

4.その技術指針を与えるのが、デジュールスタンダードの精神であり、自由貿易の秩序を作り出そうとしている国際安全規格群として基本A、グループB、個別C規格がプラミッド上に整備されつつある

5.ただし日本には、歴史的に「設計者に説明を求める責任」の概念がなく、CEマーキングのような認証制度(設計者の説明責任による製造物責任の免責)が発達しなかったため、設計者は労災発生後の事後説明しか許されず、社会的に予防措置が働く仕組みがなかった

6.ただし、幾ら信頼性を上げたシステムでも確率論では確定された「安全」だとは第三者認定機関は到底認めないので、設計者の正当な説明手順として、まず「止まる安全」、それでも不可なら次に「止める安全」、そして最後に「止めない安全」(航空機や鉄道、ペースメーカ等)という優先順位で説明できないと認証を勝ち取ることは出来ない


私も概ね賛成であるが、現実問題として、
1.安全規格の整備については日本は10年、20年程度は欧州に遅れを取っており、今からキャッチアップするために、設計者に多大な労力とコストを強いることになるのは自明である
2.よって、日本から見ると国際規格の制定は、規制強化・貿易障壁の何者でもない
3.そのため、国際規格が目指す理想からの恩恵を受け取るまでには、政府機関の援助がないと企業の自助努力だけでは難しい
4.そういう意味で、やはり国際規格への対応は国家政策の一つとなり得るのだから、日本政府が本腰になって頑張っても欲しい