京都/炭屋旅館~お茶の侘び寂び~

【出典】京都炭屋おもてなしはお茶の心/堀部公允、恵美子、寛子/草思社

麩屋町にある「炭屋旅館」は、もともと「田毎」という料理屋だったが、恵美子の父・鍈之輔が趣味人で家元のお社中(同門の仲間)をもてなすことが多く、「いっそのこと旅館に」と望まれて宿屋を始めた。「炭屋」という屋号は、恵美子の祖母ハナの実家がそのむかし大きな炭問屋だったことに由来する。鍈之輔と母の春は共に茶の湯三昧でお茶にどっぷり浸かっていたことから、「炭屋」を立てていくうえでお茶を基本にしていこうという考えがあった。茶道の作法の根底にあるもの、それはとりもなおさず「おもてなしの心」だ。自分を下げ、お客様には思いつく限りの丁寧さで対応する。一杯のお茶を立てる、その行為に全てが凝縮されているのだ。

先代の公允曰く、『侘び寂びの美意識がわかって、はじめてその価値が生きてくるのであって、そやなかったら、猫に小判みたいなもんやろねえ。だからわたしはね、何も無理してまで、われわれのとこへ来ていただかなくてもけっこうやと思うてるんです。「こういうとこは、気分が安らいでよろしいなあ。こういう雰囲気、こういう世界のなかで、いっぺん泊まってみたいと思うてましてん。そのためにお宅を選んだんやし、京都へも来たんですわ。」そういうてくださるお方のために、この環境を維持して、これを守っていきたいという考えでお宿をしているわけなんでね。』

年代を経ることでだんだん味わいを増していくところと、季節の移り変わりに従って建具や調度の模様替えをし、畳表や障子紙を新しく取り替えることで醸し出される空間の緊張感と清浄感、そのコントラスト、その両方が互いに引き立て会うことが日本家屋の良さであり、炭屋は旧態依然としてのこの雰囲気を、むしろ固執して守っていこうとしている。

あえて部屋の光を落し、ほの暗い明かりのなかで料理や器を愛で、情緒ある部屋の佇まいとしつらえを愉しむ(乏しい光のなかで精神を集中することで、ものの本質が見えてくる)、その精神的な落ち着きが理解できる方、お茶の心のおもてなし、侘び寂び、雅な趣きが心地よい方には、この上ない宿となることだろう。

今でも、歴代主人の命日(7日、17日)には毎月茶室で釜を懸け、夕食を済ませたお客様をお茶席へ招待するならわしを続けている。